塾長の独り言です。日々思ったり、感じたことを書き込んでみたいと思います。この仕事は、実態が不明な部分が多く、このあたりが、少しでも皆様に伝われば幸いです。
塾長のモノローグ
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息子が出て行きました③!
2010-05-19-Wed  CATEGORY: 未分類
一人暮らしを始めた長男は、勝手気ままな自由を手に入れるとともに、一人の寂しさも引き受けることになります。離れてこそ、いろんな現実が見え、考え、悩み、成長するのだと思います。

父親として、何もしてこなかったので、何か返してもらおうなどとは思ってはいません。自分で生きていくすべを見つけ、それなりに生活してくれたらと思います。私の母親は、男は30までには定職につけと言っていました。それまでは、夢を追おうと、職を変わろうと構わないと言っていました。その言葉の通り、いや2年遅く、私はこの仕事に落ち着きました。

リリー・フランキーさん原作の「東京タワー」を観ると、何も出来なかった自分が恥ずかしくなります。オカンを東京へ呼び、亡くなるまで7年以上も一緒に過ごした。母としては、それだけで十分幸せだったのではないかと思います。現実、そうしたくてもそうできない人のほうが多く、いや、そこまで踏み込む決心がつかない人のほうが多く、後であれこれ思うものです。

ドラマ「北の国から」で、純が、中学を卒業し東京へ向かうトラックの中でのシーンがあります。運転手が、車代として五郎からもらった泥のついた一万円札を、「受け取れねえ」と言って純に返すのです。これは、母を亡くした黒板家ならではのお話で、本当は母親の役だと思います。

こう考えてみると、断然母親のほうが有利です。もちろん過ごした時間やかけた愛情の違いですから、当たり前だといえます。ですから、母親には、必ず父親以上のものが子供から戻ってくるようになっています。

そのためにも、きちんとけじめをもった親離れ、子離れをしていただきたいのです。そして、失望するような過度な期待ではなく、楽しみとして半分の期待を持ち続けていただきたいのです。

「疲れたらいつでも帰って来い。息が詰まったらいつでも帰って来い。国に帰ることは恥ずかしいことじゃない。」(北の国から・初恋)



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息子が出て行きました②!
2010-05-18-Tue  CATEGORY: 未分類
親離れ、子離れの難しさは、いつの時代も同じようです。時代よりも育った環境の影響が大きいのではないでしょうか?

以前にも少し書きましたが、あんな親にはならないと自分の親を否定しておきながら、実際は、我が親と同じことをやっていることがあり、ハッとします。自分の中では、それが普通で当たり前の感覚になっているからです。

理想の父親・母親像を追い求めるよりも楽だからかもしれません。あるいは、それしか出来ない、思い浮かばないからかもしれません。昔は、祖父・祖母のいる中で、じっくり学べたものが、核家族化が進んだ今、学ぶ場をなくし、自分の父親・母親のイメージすら持ち合わせていない人もいるように思います。

母親が子供中心になりすぎている場合は、子供から目を離す何かが必要になるのだと思います。興味のある仕事、やりたかった習い事、子供と視線を合わさない時間を少しずつ増やしていただきたいのです。

ペットを飼うのも一つではないかと思います。子供の世話を焼く代わりにペットを可愛がる。犬や猫は、その気持ちに十分応えてくれます。子供が離れていく淋しさを埋めてくれると思うのです。

成長とともに反抗期を迎え、親の言うことをきかなくなる。健全で正常なお子様の証です。こんなお子様なら、こちらから離れようとしなくても、お子様のほうから愛想をつかし去っていくでしょう。そんなに心配は要りません。

問題なのは…。こんなタイプのお子様を追いかけるのは止めてください。たまにお見かけしますが、いつまで続くのか、いつ終わるのか、結末を想像するのが恐くなります。

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息子が出て行きました!
2010-05-17-Mon  CATEGORY: 未分類
長男が引越しをし、家を出て行きました。遠方の大学に進学したためで、いたしかたありません。通えない距離ではありませんが、これも一つ、彼の社会勉強だと思います。わたしも通った道、少し贅沢ではありますが、認めることにしました。

こうやって、家族が離れ離れになり、それぞれが独立して自分の家族を作っていく、当たり前のことです。逆にいつまでも親の元でのうのうと過ごされるほうが、おかしいのです。最近、このおかしなことがまかり通っています。子供は、同じような友達をみて安心しているのでしょう。親は、頼られていることに喜びを感じ、変わらない生活に安心しています。

とんちんかんな質問に困った中三生だと嘆いている講師がいます。しかし、これから指導していけばよいだけで、これからどんなに変わっていくのかが楽しみです。

ところが、「クラブから帰って来て寝てしまい、起こしても起きないので休ませます」これでは、打つ手立てがありません。こちらがどれだけ厳しい話をしても、お母様が、この調子では、こどもは母の元から離れようとはしません。甘やかすのもほどほどにしていただかないと、困るのは我が子なのです。

安定した生活と少子化が進みました。この結果、母親が、お子様にかかわれる時間が増えました。子供とのつながりが深くなればなるほど、お子様の自立が難しくなるのだと思います。3人の子供がいたとしても、お母様は次々とターゲットを替え、最後の一人にしがみつくことになります。どうか、そのお子様にとっては大変な迷惑であることに気付いていただきたいのです。

自分の生きがいは、「子育て」だ。そんなつもりではなかったがいつのまにかそうなった。こんな自覚がおありなら、まだ、正常です。これから変わっていただけると思います。離れていく寂しさをこらえ、明るく送り出していただけると思います。

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連休の出来事③
2010-05-10-Mon  CATEGORY: 未分類
お通夜の次の日は、お葬式でした。

久しぶりに会ったいとこたちの年をとったこと!いやいや、こちらもそう思われているはず自分が変わってしまっていることなど、ついつい、忘れてしまっています。

叔母の顔は、点滴でむくんだのか、祖母の顔そっくりになっていました。私の母に一番よく似ていた叔母でした。特別に何かをしてもらった記憶はありませんが、生前の母を思い出し、何もしてあげることができなかった事を詫びました。

年とともに、葬儀に参列させていただく機会も増えました。最近は、「家族葬」という言葉をよく耳にします。自宅ではなく、葬儀社に葬儀一式をお任せする。家族葬であっても業者任せが多いようです。

昔は、葬儀委員長が皆を束ねて役割分担をし、葬儀を仕切る。隣近所は、連携して役を引き受け、料理を作る。今は、そんな時代ではないのはよく分かっています。私も喪主を務めたことがありますが、弔問客への対応はもちろん、お通夜や葬儀の手はずや準備を聞くのが精一杯でした。それこそ悲しんでいる暇さえなかったように思います。

そんな意味で葬儀社にお任せするのは、いたしかたなく、必然の流れだとは思います。しかし、それでは「家族葬」の意味がなく、何かとても中途半端なように思えるのです。

「おくりびと」ではありませんが、形だけではないものが加わると良いのかもしれません。あるいは、形をなくしてしまうことが良いのかもしれません。

いろんな事を思い、考えた連休でした。
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連休の出来事②
2010-05-09-Sun  CATEGORY: 未分類
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丸3年間、一日も欠かすことなく咲き続けているカーネーションです。一度お盆休みに水がやれずに枯れかけましたが、復活しました。昨年は、講師が一回り大きな鉢に植え替えてくれました。国華園で380円だったカーネーション!いつまで咲き続けるのでしょうか?

叔母のお通夜が次の日にありました。可哀想だったのは叔父です。事故の原因は、どうも叔父に原因があるらしく、軽自動車に横からトラックが衝突して、助手席側にいた叔母が大きなダメージを受けたようです。

おしどり夫婦というか、叔父は美人の叔母が自慢のようでした。どこに行くのも二人一緒で…。今回も何を目的に車を走らせていたのかは分かりませんが、事故にあった正午前には、もうお土産を買っていたようで、朝から二人でいそいそ出かけたのではないかと思います。

近江高島の病院で、叔父に叔母が死んだことをすぐに打ち明けるべきか、長男から相談を受けました。叔父は、事故後、脳内出血の手術が緊急に必要になるかもしれないということで、設備の整った別の病院に移されていたのです。病状は落ち着いており、一般病棟にいるとのことでしたが、亡くなったことをすぐに伝えるのは、酷なように思え、そのように答えました。

ところが、お通夜のあと叔父は病院の許可を受け、葬儀場にきたのだそうです。叔母の名前を呼び泣き崩れたと聞きましたが、その場にいなくてよかったと思います。

突然の別れに、まだその実感がともなわないままでの別れに、気丈に対応する叔父が、逆に哀れにも思え、いたたまれない気持ちで一杯になりました。
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連休の出来事
2010-05-08-Sat  CATEGORY: 未分類
とっても忙しい連休でした。
先週の土曜午後三時ごろ、大阪府枚方に住む叔母夫婦が車で事故を起こし、叔母の命が危ないので、近い身内に連絡するようにと言われたといとこから連絡がありました。病院は、滋賀県近江高島、琵琶湖の西岸です。授業を入れ替えて仕事を早く終え、病院に向かいました。塾から、片道140kmを夜に往復したのです。

10時過ぎに到着しましたが、もうすでに叔母の息はなく、葬儀社の車が来るまで、遺体に付き添った後帰ってきました。何もない真暗の道を一人で運転するのはとても恐いもので、京都東のインターを降りて現地まで40キロ、その間、コンビニが3店とガソリンスタンドが1店あるだけでした。

琵琶湖で思い出すのは、大学二年の夏休みだったと思いますが、友達が琵琶湖の民宿を自分たちで経営しました。海の家ならぬ湖の家です。その民宿に遊びに行きましたが、その民宿があったのがこの近江高島だったと思います。夏は海水浴、冬は雪が積もるところです。私自身も、琵琶湖西岸の温泉旅館で二週間ほど住み込みでバイトして、クラブの夏合宿の費用を捻出したことを思い出しました。
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