塾長の独り言です。日々思ったり、感じたことを書き込んでみたいと思います。この仕事は、実態が不明な部分が多く、このあたりが、少しでも皆様に伝われば幸いです。
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天草の雅歌②
2014-06-24-Tue  CATEGORY: 未分類
私は、島原で生まれました。島原城(島原の乱で4ヶ月以上も立て籠もったのは原城)近くのキリスト教の幼稚園に市バスで通園しました。先生達は皆、頭まですっぽりと黒い頭巾をかぶっていらっしゃいました。
天草と島原、なんとなく私の中に縁を感じています。

さらに新しいご縁がありました。

それは、元岸和田高校の校長、前東大谷高校校長のK先生との出会いです。岸和田時代に、初めてお会いして天草の方であることを知りました。

先生は、生まれは鹿児島なのですが、すぐに天草に移られました。そして実家は禅寺なのです。お兄さんが、宋心寺で若い頃修行をなさったこともお聞きしました。

ここからはK先生から聞いたお話です。島原の乱後たくさんのお寺が天草にできましたが、困ったことが起こりました。お寺は、檀家からのお布施等で成り立っていますが、その数の多さにより一寺あたりの檀家の数が極端に少なくなったのです。そこで、お寺の経営を助けるために寺の周りの土地を与えることになったのだそうです。

ところが、戦後の農地改革でその土地が没収されてしまいました。この結果、先生は、お寺の子でありながら貧乏な少年時代を過ごされたのです。給食費も払えないほど苦しかったのだそうです。

先日、K先生のお宅に行ってきました。敷地3000坪以上の中にある落ち着いた日本家屋がステキでした。手入れの行き届いた裏庭に、放し飼いのニワトリ。ご自宅の中には、骨董家具や先生が焼かれた器が並び、圧巻は広い茶室です。時を忘れてしまいそうでした。そして天草を思い出しました。

本当にこれもご縁だと思っています。

遠き天草、古き天草です。これをまとめると社会の入試問題が作れますね。

※「天草の雅歌」はむかーし読んだ辻邦生氏の本の題名です。その頃読んだ遠藤周作氏の本も天草が題材だったような…。

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